20140318

クレヨン

5歳の生徒が大切そうに持ってきた24色入りのクレヨン。
24色入っているのは珍しいねとなんとなく、Lesson前にふたを開けて見せてもらった。
ふたを開けると、中のクレヨンに見とれてしまった。
宝箱のように鮮やかな色が飛び出してきた。
紙のカバーも全部取れて、短いクレヨン、長いクレヨン、二つに分かれたクレヨン。
表面は、色んな色が混ざり合う。
色々なクレヨンが並んでいる。
クレヨンを見ただけで個性を感じ、絵を描くことが好きなのを感じた。 
今までたくさんの子どもたちのクレヨンを見てきたけれど、なかなかこんなクレヨンは見たことがなかった。

彼が書く絵の色使いはとても鮮やか。
塗り絵も一ヶ所に色んな色を使う。
嬉しそうにニコニコしながら、どんなに短くても使いたい色のクレヨンを上手に持って少しづつ少しづつ色を塗るというより大事に色を置いていくような塗り方をする。
これまた見とれてしまう。

子どもたちに物を大切にすることを伝えていきたい。
物をたくさん使っていくと、その物の命がキラキラして個性がでてくる。
新しい物も手に入れた時は嬉しいけれど、長く使えば、使うほどその物に自分の気持ちがたくさん詰まっていく特別な感覚を育てていきたい。

20140311

あれから3度目の春

雪が降り
雪が溶け
ふきのとうが
冷たい土から顔を出し
春の花がやさしく咲き始めた
春の訪れを感じ始めた。

つい先日、同じ会社の東北は宮城県塩竃市から研修に参加してくれた先生に会う機会に恵まれた。
控えめだけれども、どこか芯がある。そんな第一印象だった。
休憩時間には、色々なお話をしてくれた。

3年前の3月11日大地震が東北を襲った時、彼女は塩竃市の海沿いの郵便局にいたという。
車を置いて山の方に走って逃げたそうだ。
集会所のようなところで家族を待ったという。
弟さんとそこで会うことが出来て、電気の通らない寒い中、夜を明かしたそうだ。
3週間風呂に入らず、川で洗濯をしたりして過ごしたという。

彼女との話しの中で私が当時、そのような光景を石巻で少し目の当たりにしたことを話すと、私がボランティアで石巻を訪ねたことを知り、驚いた顔をして、真剣な眼差しで「ありがとうございました。」と頭を下げた。自衛隊や、ボランティアの人たちに本当に助けられたという。
私自身は何も大したことはしていないし、当時は、私のただ居ても立ってもいられない気持ちが強かった。行動に移すことは、他の誰かのためというより自分のためだった。
あの地をまた訪ねようと言って3年が過ぎてしまった。
彼女との出会いは再び、あの地を思わせた。

今日で震災から3年目を迎える。
彼女の話では、まだまだ石巻の電灯などは、震災前ほど明るくはなく、夜車で走ると真っ暗だと言う。
最近、遠方から訪ねて来た人が見ると畑がどこまでも続く場所と思われる現在の地は流されてしまった土地だという。
たくさんの人、もの全てを海に連れて去っていった大きな津波。

あれから3年、毎年この日、朝仕事に行く前に自分の家の前の海をゆっくり眺める時間を作るようになった。
目の前の穏やかな海を見ているとあの日、この海が姿を変え、激しく荒々しく私たちを襲ったことがなんだか信じられない。

れから3年。
この国はどこに向かっているのか。
今、そしてこれからのために私たち一人一人はどう学び、考え、生きるべきなのか。
日々、考えさせられる。
この3年間、私の頭は追いついていかない。学び、考えている間、この国はどんどん目まぐるしく移り変わろうとしている。
一つのことを学んでいるうちにまた一つ、また一つと新しい問題や提案が出され、そのうちに一つ前の事項は国によって制定されている。

このように流れていってしまう現実を黙って一緒にただただ流れてはいきたくない。
今の生き方、これからを考えて、流れをちょっと待てよ。とたとえ一人だろうと立ち止まれる大人に。
そして、必要な時に出来る形で行動に移せるように。
備え守るべきものを守っていきたい。
その自分自身への誓いを持って14:46黙祷をしたい。

今朝の葉山