20210312

10年。


10年が経ってしまった。


この写真は震災翌日の3月12日、友人と住んでいたアパートで他に電力が少しでも回るようにと暗くなったらキャンドルで過ごしていた。

計画停電もあった。

日本中が震えていた。


いてもたってもいられなかった。

東北が大変なことになっているのに自分は日常の変わらぬ日々に戻っていくことがなんとも耐えられなかった。

この日本で起こっている大きな苦しみや悲しみととにかくただ共にいたいと思った。


震災の2週間後、いち早く人を送り込もうと決起したPeaceBoatの災害ボランティアとしてテントと寝袋を持って石巻に向かった。


車も家も天地がぐちゃぐちゃになり無力感が漂う。砂埃と生臭さいろんな匂いが立ち込めていた。

かき出してもかき出しても減らない瓦礫の山。

全て現実だった。

それでもそこにいる人はやるしかない。とたくましく這いあがろうとしていた。


10年で石巻も見違えるほど変わった。

人の心はなにが変わったわけでもないと思う。あの時の苦しみも背負いながらそれぞれが今を生きているのだと思う。

特に福島の問題はまだまだ一人一人が日本が世界が考えなければならない問題なのに…どうにもならずどうにもできずに今を迎えているのが現状だと思う。


東北を訪ねたいそう思いながらも結婚、子育て時が流れてまだ訪ねることができていないけれど必ず家族みんなで訪ねたいと思っている。


昨日の14:46

園バスを降りた息子の手を繋ぎ歩きながら色んなことを想った。

この大切な人の手が離れてしまった人のこと

この子を命懸けで守る気持ちで生きていてもなにがあるかはわからないこと


もうすぐ4歳色々なことがわかってきた息子に東北であったことを話すと黙って頷きながら聞いていた。

「ただいま」「おかえり」が当たり前ではないんだよ。毎日を大切に過ごそうね。

毎年この日に話していこう。

こうして話を継いでいくことも自分の使命なのだと感じた。


同じボランティアとして出会ったイギリス人のJonさん。

彼の言葉をもう一度掘り起こした。

「人間、本来は自分の体と心といたってシンプルなもの。本来はそこまで物って必要ない。ここから、また人間の大事なものを見つけて、日本中に、そして世界に広げていける。」


10年経って今私たちはコロナという新たな試練に直面している。

震災もそうだが、とにかく最後は人なのだ。人の心を救えるのは人。

ウィルスは人が救えないものもあるけれど、日々前進を忘れてはいけなくて、こんな時こそ人と心を通わせて、心を和ませたり優しい気持ちにしていきたいと私は思う。


今、人が便利便利を追求してしまったツケがいろんな形で出てきてしまっている気もする。

人間にとって大切なものをまた一つまた一つと改めて考えさせられているのかもしれない。

1日1日を大事にそして広い世界を日々思いながら生きていきたい。




20160610


家の周りにはたくさんの竹藪がある。
家の中からも竹藪が見える。
光と緑の中の生活は街の中にいることを忘れさせてくれる。

先日、いつものようにお散歩をしていると、おじさんたちに「ちょっとちょっとお姉さん!」呼び止められた。


遊歩道の脇で竹の会の方達が竹細工コーナーを設置していた。
「お姉さんの足に合う竹踏みをすぐに作ってあげるから持って行きな。台所やっている時とかテレビ見ながら足を乗せておくだけでもちがうよ!」
と私の足に合う竹を選んでくれてすぱーんと竹を割ってくれてヤスリをかけて、壁掛け用に糸を通せる穴までちゃちゃっと電動ドリルで開けてくれた。
あっという間の2、3分で完成だった。
ジャーン。

これがいただいた竹踏み。
太すぎず細すぎずなんとも足にぴったりである。
実はずっと欲しかった竹踏み。
本当に嬉しかった!
興奮しておじさんたちに何度もありがとう!を告げているとおばさんたちがあれよあれよと集まり始めて「私も!」と
大忙しの竹の会の皆さんであった。
他にも竹のおもちゃなども作っていた。
もっと早く知っていたら私も竹の会に入りたかったなあ。
と思うと同時に、再びこの竹藪があのおじさんたちに守られていたのだと思うと感謝の気持ちが湧いてくるのであった。
 

20160115

福男




西宮神社の年に一度の十日戎において江戸時代からの開門神事「福男選び」はこの赤門から走り出す走り参り。
せっかく大阪にいるのだから。と参加が毎年恒例の家族行事だという杉山夫妻からのお誘いを受けていってきました。
昨年は開門前人数が5000人!今年は約6000人だったそうだ。
その中から抽選に参加できるのは2000人。
走れるのは、さらにその中から108人。
8:30から並んで、10:00に走れる服装かチェックされ参加の心得を読みサインをする。
参加前から杉山夫妻が私たちに何度も言っていたのは、
これは「神事」だ。ということ。
ただ面白いから走っているイベントではない。
心得には、待ち時間やくじ引きの不正な行為などは失格となること。
福男に選ばれたら、年に三回の神社の神事に参加すること。などの項目があった。
何より、6000人もの行列が神社周辺にできるのだ。
こんなにしっかりと並べる6000人。
日本人はすごいなあ。と感心してしまう。

警備や、人の誘導を神社の半被を着た人たちが行っているのだが、
なんともその老いも若きもが、真剣にそして元気に清々しく動いているのが私には印象的だった。こうした人がいてこの江戸時代から続く神事が続いているのだろう。
その中の多くは歴代の福男たちだという。
半被の色や、黄色い手袋をしている人がそうだった。
それが福男だけがもらえる記念品である。


並び始めて3時間半後。正午12:00にとうとう最大の運試し、いよいよくじ引きが開始された。
神社でやるおみくじよりもドキドキした。

くじの種類は三種類。
赤→Aブロック 108人 青→Bブロック A グループの後から 走るなり歩なり。 そしてはずれの3つだ。

私はなんと青を引いた。(引いてしまった…。)
あまり今までの人生で良いくじを引いたことがない私…。
 私にとってこれは大吉よりもすごいLUCK。

不正がないようにくじに当たると、腕を上げたまましっかりと捕まえられて、奥の手続きに連れて行かれる。
奥に連れて行かれたので、杉山夫妻や、うちの旦那はんが一体どうなっているのかわからぬまま。
合流するとなんと杉山の若旦那!その108人の3番目のくじを引き当てた!!3番目に赤門前のどの位置からスターとかを選べる。
正に福男ここに在り。
一緒にいるだけでもご利益がありそうだ。
若旦那は朝の6:00開門と共に走り出して、多くのメディアの写真や映像にしっかり映っておりました。


走り参りはできなかったけど、西宮駅前を猛ダッシュして清々しい笑顔のうちの若旦那。

いやあー杉山家、田崎家、素晴らしい新年の走り出しとなりました!
えべっさんさすがです。福と笑顔をありがとうございます!

ところで、屋台がたくさん並ぶ十日戎。
屋台もまた関東にはないものがたくさんございました。
ちなみにこの左の写真は「はしまき」というもの。
お好み焼きの生地のようなものがぐるぐると箸に巻かれ、
その上からトッピングされている。
あと、驚いたのは、「カステラ」いわゆるベビーカステラの屋台がたっくさんあった。関東では一つの祭りに一つか二つのカステラだがこちらでは、列ができるほどである。そんなのを見ているだけでも楽しい夜のお祭りだった。
はじめはくじ引き深夜12時開門6時と体力勝負な神事に参加を迷ってはいたが、はずれてもなんだかくじ引きも含めてとても参加して良かったと思えるものであった。
 
まだ初詣を終えていない私たち。
翌日は地元の神社に初詣に行きました。
毎年、大きな干支の絵が描かれる神社。
たくさんの人がどんど焼きの準備をしていました。
こうした地域の人たちが元気に支える神社や地域の風習、繋がり。
もっともっと若いものも参加して大切にしていきたいものであります。
開運とは、運が開けること。幸運に向かうこと。
みなさまの一日一日一歩一歩が、明るく元気に開かれますように!
2016年もどうぞよろしくお願いいたします。

20151113

二人キャンプ


秋だ!キャンプだ!
と大阪で出会ったお友達が教えてくれた滋賀県琵琶湖のマイアミ浜キャンプ場へ。
滋賀のマイアミだぜ。洒落てるぜ。

琵琶湖が目の前に広がるキャンプ場でテントを張る。
お腹がぺこぺこの状態で火をおこす。しばらくたってやっと炭がパチパチいい塩梅。
下ごしらえしてきたカレースープとお肉を焼いて食べる。最後はお米をぶっこんでカレーリゾット。外で食べるご飯はなんでこんなにおいしいのか。

そして…キャンプと言えば…
マシュマロ。
浩平は初のトースティングマシュマロ体験。おいしさに感動していた。
グラハムクラッカーに板チョコとこの焼いたマシュマロを挟むS'MOREもしました!懐かしい!


月が綺麗な夜でした。
沈む月をいつまでも見ていました。
すぐそこに落ちていくみたいで光の方へ泳いで行きたくなったなあ。

翌朝はキーンと冷たく澄み切ったおいしい空気。
琵琶湖にかかる霧。
向こうの山々はまるで水墨画のようだった。本当に美しい朝日を見ながら火をおこしてコーヒーだ。




朝ごはんは昨夜のあまりのハンバーグを使って朝からガッツリハンバーガー!
ちょっとパンが焦げましたが、とてもおいしかった。
それから滋賀県を堪能。
湖上に突き出る浮御堂で有名な満月寺。
ここの松は驚くほど大きくぐいぐい伸びた松を大切に添え木などをして伸ばしていた。こんなにも大きく自由に伸びた枝を大事に残している松は初めて見た。




その後は近江八幡へ。
まるでタイムスリップしたような街並み。大切に保存されてきたことがわかる。

最後は近江牛の寿司。
なんとエビせんにのって出された!
とろけました。
滋賀県また来ます!
 

20151001

空と大地にありがとう!



9月の終わり、まるちゃんとけんのすけくんを訪ね、夜行バスで長野県佐久市を目指した。
大阪をお昼頃出発し、佐久平の駅に到着したのは真夜中であった。
私たちは駅で寝袋を広げた。一晩だけベンチをお借りした。
星がとても綺麗でひんやりとした空気が気持ちよかった。

翌朝、まるちゃんが迎えに来てくれた。
まるちゃんは、母となり、てんのすけくんというそれはかわいいむちむちぷよぷよふにゃふにゃした息子くんがいつもそばにいて私たちを笑顔でとろとろにする。
まるちゃんは、まるちゃんらしく、大らかに、やわらかく母となっている。
見ているだけで微笑ましい。

作業場に着いて、早速畑のお手伝い。
広い空の下、コスモスが咲き、黄金に輝く稲穂が揺れる。
心がスーッと安らぐ景色。
自然の作り出すものは、なんて美しいのだろう。

ズッキーニの受粉をお手伝いしたり、
かぼちゃ畑でかぼちゃを大きく成長するように助けるシートを敷いたり、
収穫が終わった畑のお片づけとして、敷いてあったマルチというシートを土の中から掘り出して剥がしたり。

土まみれ、汗まみれになる作業がとても楽しかった。
オーストラリアで畑をやっていた時を思い出す。
作業の後に感じる風や、土のにおい、
真っ黒な爪や耳や鼻。
全てが懐かしく、自然と一つになれる気がしてなんだか愛おしい。

(写真: Ai Ogata)
こうして一つひとつの作物が、一人ひとりの農家さんの手によって大切に育てられて、私たちの元に届くことに感謝の気持ちと、忘れてはならない。という気持ちが改めて生まれる。

夜は、たまたまここで再会となる友人や地域のかたがたと宴が始まった。

採れたて野菜と秋刀魚の炭火焼。
ぜいたくなひととき。

歌や踊りに冗談を言い合って、
笑いが絶えない。
あったかい方言が心地よい。
(写真:Ai Ogata)

翌朝は、みんな二日酔いである。
それでも、鈴木家は、朝4時、5時から動き始める。
出荷を終えて、少し休憩。
望月牧場へ連れていってくれた。
いいお天気で、気持ちが良かった!



アルパカがいた。
アルパカのお人形を買ってもらったてんのすけくん。
午後から、そして翌朝までマルチ剥がしを手伝わせてもらいました。
夫婦で土まみれ、汗まみれになって働くというのは、良いものですね。
良い経験をさせてもらいました。
ありがとう。鈴木家のみなさま。
また来ます。

翌日は、鈴木夫妻と白馬村へ。
ここにも一人大切な友人が…。
オーストラリアで日本語を教えたことから、
仲良くなった友人ナリニさん。
ナリニさんは、この白馬八方で開発の仕事をしている。
私たちが訪ねたこの日は、地域のお祭りの日だという。
「神社に来てください。」 とのメッセージ。
大きな木のある神社で神輿を担ぎ終わった人たちや、地域の人たちが温泉のお湯をかけ合って、びしょ濡れになって縁起担ぎをしている。
ここは、外国人の住人もたくさん居るようで、小さな神社は非常に国際色豊かに賑わっていた。
ナリニさん、よく似合っていた!
鈴木夫妻とお蕎麦ランチ。鈴木夫妻は大盛りだ!

少しの滞在だったが、ナリニさんの日本や、八方にかける思いは素晴らしく熱い。
日本社会でやっていくのは容易いことではないが、一生懸命に頑張る彼女を見て、自分もまだまだ頑張らねば。 そんな気持ちになるのだ。


9月のシルバーウィーク、長野でいい空気を吸って、パワーもらいました。
鈴木家のみなさまありがとう!
そして空と大地よ、ありがとう!