以前のミャンマーでの自分の気持ちをもう一度確かめる。
「ただいっしょに生きていきたい。」
その言葉に出会うまでは、心のどこかで、何か見える形で、何か少し名のあることをしたいと思っていたのか、そうでなければいけないと思っていたのか…。
でも、そうではなかった。ミャンマーで一緒に旅をした北海道の先生がこの言葉を教えてくれた時に、なんだかふっと肩の力が抜いて等身大の自分で生きていけそうな気がしたのを覚えている。
思い出というのは、大きな支えだ。
忘れてしまいそうになるのは、もう一度思い出すため。
思い出して、また強くなれる言葉や情景がある。
忘れてしまいそうになっても、心のどこかにいつもあって、引き出される時がいつもBESTなタイミングなのだ。
(過去のBlogから…。)
私のミャンマーでの話をしたい。
YMCAで働いている頃、2004年ミャンマーの無医村を医師や看護婦の一行と訪ねるボランティアの旅に参加した。 そこで出会った村の子どもたちに私は大きな愛をもらった。
診療所の手伝いの合間、私が子どもたちと遊ぼうと外に出るとどこからか、たくさんの子どもたちが取り囲む。
いつの間にかちいさな手がたくさんたくさん私と 手をつなごうと私の右左一つずつしかない手のひらの中に入ってこようとする。 その手のぬくもり。
言葉が通じ合わないけれど、意味がわからなくても私の話す声の調子を一生懸命聞いて、顔を見て何を考えているのか読み取ろうとするそのまっすぐな瞳。
その見えない力が私たちも子どもたちも笑顔でいることへ導いた。以心伝心だった。
それを感じた時、胸の中がじんわりとやわらかくやさしい気持ちになった。
目に見えないものの大切さや豊かさを改めて感じた。
今、人と接すること、関わること、ぶつかることを恐れないでと伝えたい。相手を想い、気持ちを伝え合うこと、ぶつけ合うこと、そこから生まれる気持ちの強 さ、あたたかさを感じてほしい。 全ての国の人、地球上のどんな人にも、一つのhugが、一つの握手が、一つの手が、一つの言葉が、一つの笑顔が、一つの思いが、心をやさしくさせる瞬間が きっとある。
「ただいっしょに生きていきたい。」のだ。
「ただいっしょに生きていきたい。」のだ。