20110509

生と死。

自分が25の時、ある登山家のドキュメンタリー映画に出会った。
「運命を分けたザイル」という作品だ。

たまたま向かいに住んでいた友人が借りてきたDVDだったのだが、それは私の中で忘れられない作品となった。


今思えば、様々なターニングポイントを迎えていた当時の自分。激しく悩んだり、落ち込んだりして、気力も出ない。そんな時期だった。
でも、あのDVDではっと目が覚める。衝撃だった。

映画は、実在の登山家ジョー・シンプソンが死の直前から生還したストーリーを再現映像と本人の語りで作られている。

壮絶な事故。人一人いない雪山の中、生死の境を行ったり来たり、その恐怖の中での、様々な精神状態を本人が語っていく。
私が、忘れられなかったのは、
彼は登山家として、幾度となく、雪山で死ぬことを考えてはいたというジョー。でも、実際に本当に死に直面した時に思ったことは、「とにかく、誰でもいい、死ぬ時に誰でもいいから、誰かにそばにいて欲しかった。」と死を覚悟しながら思ったという。
死の直前。それを体験した彼は、当時20代半ば。まさにそれを見ていた私と同じくらいの年齢だった。

パンチをくらった。わあわあ涙が溢れ、止まらなくなった。私の涙のわけは、この映画を見た他の人とは違うポイントだろう。

私と同じくらいの年齢で、こんな大冒険をしている人がいる。生と死の狭間を生き抜き、命の重みをこんなにも感じている人がいる。
今、私は一体、何をしているんだ。何をくすぶっているんだ。自分が情けなくて情けなくて仕方なくなったのだ。
思えば、小さな箱の中に入り込み、飛び出すことに躊躇し始めていた。だんだんと自分の可能性にふたが閉じていく…そんな時期に、出会った作品だった。

それから私は、再び人生のチャレンジや、冒険に向かって歩けるようになった。
再び夢を持てるようになり、20代後半で再び海外へ出た。

30代になり、また日本に戻った私に、再び登山家さんとの出会いがあった。

アルピニストの野口健さんである。

私は、野口さんのブログに出会い、日本や世界、自然、命を考えながら生き、山に登り続ける、冒険し続ける彼の旅の記録に、色々なことを学び、考えさせられた。
日に日に野口さん自身や、野口さんの活動に興味を持ち、講演会の抽選に応募。
抽選に当たり、大興奮で当時あの「運命を分けたザイル」のDVDを観せてくれた友人と共に今年の2月末、会場へ行った。講演会で話す野口さんは、時間を一切気にせずに、伝えたいこと、話したいことをおもしろおかしく、たくさん話してくれた。講演会の後の握手会では、本当にきさくに話してくれた。初めて、講演会に行った私に、何度も初めてか。と聞いて、「初めて会った気がしないなあ~。」と言ってくれたのは嬉しかったなあ。これが、その時の写真。

尊敬する野口 健さんと。
その講演会から、約2週間後に、東日本大震災が起こる。
地震後、私が石巻にボランティアに行っている時、野口さんも、たくさんの寝袋を多くの被災地に自分でトラックを借りて届けていた。

もともと4月の初めエベレストへ出発する予定だった野口さん。被災地の往復を終え、一息入れずに少し出発は遅れたがエベレストへ向かった。

その野口さんが、先日、エベレストで雪崩に遭遇した。
まさに、死を覚悟する出来事。詳しくは、彼のBlogを是非読んでみてほしいのだが。
クリック→野口健さんのBlog
野口さんの言葉に再び、「命」を考えた。
「人は死を感じれば感じるほどに生を強く意識するものなのかもしれない。」
最後は、こう綴られていた。
(以下抜粋)
>「どのような状況に追い詰められようとも最後の最後まで精一杯生き切ってやろう」「あれだけのピンチを潜り抜けたのだ。自分にはまだ運が残っている」と気持ちは前向きだった。気持ちが切れなければ、また潰れなければ、なんとかなる。そう、なんとかなる。
誰もが一度は、「生と死」を考え、生きるために本当に必要なものとは何かを問う。
震災後、日本中の多くの人が、命の尊さ、今、生きることの尊さを感じているのではないだろうか。


今、この瞬間に命があるのならば、苦しくともなんとか、一歩一歩前に歩いて生きていこう。
被災した方々、大切な人、大切なものをなくした人、家に帰ることができない人、まだまだ私たちの中にある悲しみや苦しみは拭いきれない。
でも、今ある命。なんとか心に火を灯して、歩いていこう。
震災からもうすぐ2ヶ月。
被災地以外の人間は、まったくもって自粛ムードに暮れている場合ではないと思う。
一人ひとりのパワーを何らかの形で被災地へ届けていこうじゃないの。
命燃やしていこうじゃないの。

0 件のコメント: