20110407

全国から集まる支援物資の倉庫にて。

石巻市に届く全国、全世界から来る支援物資のための倉庫で仕分けをしていた。
支援物資のニーズは1日単位で変わっていく。

倉庫の中にあったものを大きく分類すると、
・水などの飲料
・食料(野菜、乾物、インスタント、お菓子、調味料)
・キッチン用品(ラップ、アルミホイル、食器類)、ガスコンロ、ボンベ
・ティッシュ、トイレットペーパー
・タオル、バスタオル
・おむつ(大人用、子供用)、おしり拭き、粉ミルク
・生理用品
・衛生用品(マスク、歯ブラシ、綿棒、爪切り、ウェットティッシュ、ハンドクリーム、石鹸類、医薬品)
・衣類(厚手、肌着、下着、靴下)、合羽、靴類
・おもちゃ、乾電池、ラジオ、本、懐中電灯
・毛布、ブランケット、マット
・作業用の道具(一輪車、スコップ、シャベル、ブルーシート、ロープ等)

初め必要だった暖かい毛布や冬服から、数日すると、作業着や、長靴などのニーズが増えた。
下着のニーズも多かったが、足りていなかった。それから子どももそうだが、大人用の靴も足りていなかった。
スリッパで外を歩く人の姿も度々見られた。
町全体で泥だし、がれき撤去などの作業が続いていく。それらに必要なものは、物資として喜ばれると思う。
初めはとにかく被災者の方の手に渡るようにとひたすらあるものをトラックに積み込んでいく作業だったように思う。
でも、だんだんと特定のサイズがないかなど細かいOrderが入るようになってきた。
物資も第二段階に入ったように思えた。

食べ物はいつも必要で、半壊した家屋に住む人たちは、自分たちで料理を始める人たちもいるようだったが、まだパワーラインが通っていないため、ガスコンロおよびボンベなどが必要だが、足りていないのは、現在に続く現状だろう。
避難所生活の人たちに作る炊き出しの材料もここから運ぶ。
実際、石巻市も既に衣類は集めていないそうだ。
他の被災地では、またニーズも違う。
実際、福島県いわき市では、衣類を集めていて、私も一箱ではあるが、送ったところだ。
逆にパワーラインが通っているところもある。
被災地にあったニーズが問われていくだろう。

そして、ニーズの先読みというのも非常に重要だ。
現時点でのニーズを聞いていても…半日後に、その物資は足りていることもある。
数日間かけて支援物資を集めても、集まって送られた頃には、違うものが必要になることもある。
数が少ないために、多くの人に配れないこともある。
1回でトラックに乗せられる分も決まっている。
平等に。というのは難しいこと。
とにかく、一人でも多くの被災者に渡そうと動いていた気がする。
物資が渡らないところ、見えない相手を探り、見えない相手を思う。
他のボランティアが、まだ物資が行き届いていないところを見つけると、早く届けてあげようとみんなで、何が必要か、それを瞬時に考えた。スピードも大事だった。

全国から来る物資には、大きな大きな気持ちが一緒に運ばれてきた。ダンボールにメッセージがあったり、箱を開けると、気持ちのこもった手紙や手作りのものなども、。


大手企業からも、たくさんの支援物資が届いていた。(モンベル、無印良品、UNIQLO、西友など…)
個人で、何度も支援物資を届けに来る人もいた。
蔵王のRock Festivalの人たちも、私がいる間だけでも、5回近く物資を運んでいた。
ニーズが的確で、常に先を読んで、足りないものを運んでくれた。
また、これは改めて書くつもりだが、九州からもたくさんの熱い人たちが支援物資を運び、そしてボランティアとして活躍していた。日本中の力を感じた。みんなが同じ気持ちで同じ場所にいる。そう感じた。

現在PEACE BOATで募集している物資
●炊き出しに使うもの:
調味料、プラスチック容器(食器類)
 
●掃除道具:
デッキブラシ、洗剤、ほうき、ちりとり

●生活用品:
耳かき、爪切り、乳液、綿棒、手鏡、ハンドクリーム、化粧水、歯ブラシ、歯磨き粉
洗顔料、ボディータオル、ウェットティッシュ、男性用ズボン、女性用下着類

●衛生用品:
紙おむつ(子ども用・大人用)、生理用品 
 
ピースボート緊急支援ホームページご覧ください。


石巻市の専修大学の運動場を借りて、ボランティアはベースキャンプをはっている。
私たちがいた1週間でテントの数も増え、本当に大きなボランティア村となった。
もちろん私たちもパワーラインがない中の生活。
1週間風呂に入らずに、テント生活。
水の大切さ、明かり、太陽のありがたさ、そして、星の美しさ…を感じた。


同じボランティアとして出会ったイギリス人のJonさん。
彼の言葉が忘れられない。
「人間、本来は自分の体と心といたってシンプルなもの。本来はそこまで物って必要ない。ここから、また人間の大事なものを見つけて、日本中に、そして世界に広げていける。」
うん!きっと!!

伝えていくこともとても大切。それも、私にできること。現場報告会に参加してきます。
これから現地にボランティアに行く人は是非ご参加ください。まだまだボランティアは必要です!
今後は主に泥だし、がれき撤去の面で活躍できる人!!是非!行ってほしい!!
健康であれば、力になれる。

4月10日(日)、東北関東大震災緊急支援、現場報告会を開催します。

詳細クリック↑(アレ!?2番目写真バカ面お許しください;;)

 

第一陣で一緒に被災地に渡った旅人、自由人の高橋歩さんや、俳優の小橋賢児さんのチームの映像です。私の見てきた風景や、現地の人の姿、そして彼ら、チームの活動が映し出されています。
是非見てください!
小橋賢児さんのBlogにも感じたことつづられています。
http://www.kenji-kohashi.com/JP/Blog/entori/2011/4/3_wei_laiha_putachino_shounikakatteiru.html



20110403

石巻市から戻りました。



 宮城県石巻市から戻りました。
ピースボート緊急支援ボランティアとして1週間。
いまだ、いろいろな思いが混ざり合い、上手く言葉にできませんが、少し書きます。

初日沿岸部の壊滅状態を目の当たりにした時は、言葉がなかった。
自然の脅威に対しての私たち人間の無力さをこれでもかというほど見せられた。
車も家も天地ぐちゃぐちゃになり、そこら中が、がれきで埋め尽くされた無力感が漂う町がそこにあった。
この状態が沿岸部、数百kmに渡り続いているとは本当に信じがたい。
でも、それは、現実。

テレビではわからない、目で見て、肌で感じて、あの砂埃と、いろんな臭いのあの中に現実があった。
そこに生活があって、無くなったものを取り戻そうとしている姿があった。
何とかしなければと誰もが立ち上がろうとしていた。生活に必要なものすべてを流されて、失った人も何とかはい上がろうとしていた。
起こってしまったものは仕方がない。やるしかないのだと。たくましく前進し始めていた。
避難所に残るしかない人々、半壊した家で生活を取り戻そうとしている人々。今の暮らしが長期戦になるということを覚悟の上で気持ちの一つひとつをつなぎ合わせ、衣食住、日常を手さぐりでとにかく一つひとつを復活させようとしている日々がそこにあった。
「現実」だった。

避難所の炊き出し、全国から来る支援物資の仕分け、必要な物資の無料配布バザー、
手が回らない小さな集落を捜し、支援物資を届ける、炊き出しを行う。
学校や、半壊した家屋の泥のかき出しや、がれき撤去。
PEACEBOATのボランティアスタッフ、他たくさんの団体、個人が全国から集まって必要なこと、できることを日々行っている。

PEACEBOAT緊急支援ボランティアは私たち第一陣が戻り、第二陣が活動中の現在、東京のPEACEBOATでは、1000人以上の人がボランティアの登録をしていて、現地に1週間ごとに出向いていく。
全国、全世界から本当にいろんな人がやってきては、支援物資を届けに来たり、ボランティアをしに来たり。みんながこの時に、同じ場所に一つの目的で、同じ気持ちで集まった。仲間だった。
驚くほどの全国からのPower。物資も人も、日本列島各地から、飛んできて集まっていた。

私も色んなことを経験させてもらいました。私がしていたのは主に、全国から集まった支援物資の仕分け作業。必要なもの、ニーズが日々変わっていく。現地の動きが、物資の動きから見えた。
必要な物資をコーディネートして仲間に渡し、仲間が届けて、生の声を聞いて帰ってくる。そして、次のコーディネートに生かしていく。自分のしていることは、微力だが、信頼するチームが思いをつないでいるのだと思えた。
他、バザー、物資の配布、泥かきなどさせてもらった。現場に行くたびに、言葉にならない思いが溢れてくるのをぐっとこらえた。

あの現実を見て、
あの経験を学びとして、ここから日本を見て、考えていきたい。
まだまだ続くこの日本の挑戦に、これからも自分の出来ることを一つ、そしてまた一つと模索し、学びとチャレンジを続けながら、生きていきたいと思う。

2004年、ミャンマーの奥地を医師団と訪ねた時の仲間の言葉を思い出した。
「ただいっしょに生きていきたい。」
被災地のために…なんて大きなことは言えないし、私個人では何もできない。
ただ、人の苦しみや、悲しみとも共に生きていける生き方をしたいのだ。

過去Blog「Love and Hugs」ミャンマーで感じたこと。
http://gogoerie.blogspot.com/2007/04/pbshare-juan-mann-free-hugs-campaign.html


小学校の校庭


全国から集まる支援物資


20110324

ピースボート緊急支援ボランティア

ピースボート緊急支援ボランティアに参加することにした。
昨日の説明会には日本各地から、そして外国人も参加して100人以上の人が集まった。
震災後すぐに現地入りしたスタッフから現状とボランティアの説明をうけた。
代表は阪神大震災からスマトラ、中越、あらゆる震災のボランティアを引っ張ってきた人だ。以下、昨日の内容と私が理解した現状。

ボランティアの役割とは1、緊急救命 2、復興・生活支援 3、自立支援。今は、まだ1も達成できていない。彼は決定的にボランティアが足りていないと言う。11日、12日経っても現状良くなっていないのは、ボランティアがいないから。現地の人間だけじゃ無理。阪神の時にはこの時点で多くのボランティアが動いていたが、被害が大きすぎるからか、人がいない。人がいないから、コミュニケーションが断絶、ニーズの声が届かない。伝播して行かないという。ボランティアはまだ早いんじゃないか、何ができるんだという声があるが、現地に行けばわかること。そんなことを言っている場合ではないのだ。テレビなどでは報道されていない実体があるという。現地は大変だと言っていても何も変わらない。このままいったら、寒さと栄養不足で2次災害が起こる。何とか食い止めなければ。今、何もかも足りない状況。あるものはあるがないものはない。小さな爪切り一つ流されて何もなくなった。これが津波。当たり前のようにあったものが何もないのだ。仮設が建つまでは3ヶ月かかると言われている。それまで温かいご飯と人を送り込
み続けることボランティア一人ひとりが現場のニーズを聞いていくこと、被災者に寄り添うこと、少しでも人間味ある生活ができる手伝いをすることが大切なのだという。これから1週間単位でボランティアを送り込んでいく。1ヶ月、2ヶ月または、それ以上続く支援になる。炊き出しの食材、人を送るにもまだまだ費用がいる。募金での支援もまだまだお願いしたい。(下記)

私にとってのできることがたまたまこれだったのだ。時間や、これまでの経験からたまたまこれだったのだ。他人事のような環境にどうしてもいられない。それぞれがそれぞれのできることを。日本のみんなが被災者を思うことを…。
昨日の話にもあったが、ボランティアは行っていなくなる人。被災者のことを一番に考えての行動。謙虚かつ前向きな姿勢を大事に1週間やっていきたい。

まだまだ足りません!まだまだ必要です!炊き出しの食材や人を送る費用。ピースボートはこれから長期で現地を支援していきます。

ピースボート救援募金にご協力をお願いします!
加入者名:ピースボートUPA
郵便振替口座:00180-6-705651
※通信欄に「災害支援」

ゆうちょ銀行:ゼロイチキュウ店(019店)
当座:0705651 ピースボートUPA国際協力プロジェクト
※振込依頼人名の前に「サイガイ」

長期的なボランティアになります。
ピースボートは1週間ごと人を入れ替えて、現地へ。興味のある方は、ホームページをご覧ください。
http://www.peaceboat.org/info/news/2011/110321.html

明日の夜から現地宮城県石巻市に向かう。現状は想像を絶するだろう。それでも、嘆かずに、悲観的になりすぎずに、ただただチームと共に炊き出しや、避難所でのお手伝いという役割を果たしたい。被災者に少しでも寄り添いたい。

関東のみなさん、停電や水が飲めないことなどは世界の他の国ではよくあることなのです。今までが恵まれていたのです。日本のみんなで被災地を思おう。被災地は誰かが助けている場所ではないのです。私たち一人ひとりが一緒に今を乗り越えなければ。

10年前に同じ船でピースボート地球一周に乗船した仲間がピースボートでスタッフをしている。今回の引率、さらには私の班のリーダー!!デブちゃんでピースボート33回の仲間はわかるだろう。平山雄貴!!なんて心強い!平山くん と行ってきます!
ちっとも変わらぬDB平山と私。

20110322

福島からのおじいちゃん、おばあちゃん。

先日、私の病院で働く友人から電話があり、横浜の老人健康施設が福島から100人以上を受け入れた。明日、一緒にボランティアに行ってくれないか。とのこと。即座に行くと言った。

介 護職の経験を経て、現在病院に勤める彼女は、夜勤明けで、テレビを見ていると、国の対応が遅く、直接現地とやり取りをし、マイクロで福島県南相馬市の老人 ホームへ迎えに行ったという横浜は旭区の老人健康施設のニュースを目にした。職員は対応に追われているという現状を聞いて、すぐにそれをインターネットで 調べ、ボランティアとして働かせてほしいとメールをしたという。
数分後に、担当者から電話が来て今すぐにでも来て欲しいということだった。
そこからも、人手が足りていない現状が伝わるが、実際、昨日行ってみて、人手が足りない。限られたスペースの中、そして通常利用も続ける中で、大変な状態だった。

私の友人は介護職から病院という、その道の人間。
マスクや、エプロン、手袋など準備万端だった。まるで、リングに入るかのように、「よっしゃ!」の掛け声で、お年寄りの中に入っていき、大きな声で挨拶をして回った。
頼もしく、そして尊敬できる友人の姿に、私も、気合いが入った。
ボランティアをまとめる人もいない中、そんな彼女は1日を通して、現場を引っ張る重要な人になっていた。


福島のお年寄りは、日中のデイサービスのときには、場所がない。
座れるお年寄りは廊下にずらっと座っていた。寝たきりのお年寄りは、奥のデイサービスのスペースを半分仕切ったところに布団やベッドが並べられ、雑魚寝状態だった。

あんなに多くの人たちのトイレ(排泄)、介食、水分摂取のためのお茶出し、健康状態のチェック…。スタッフは明らかに足りない。すぐに、介護職のいとこに連絡をした。横浜近郊に住む、介護職経験がある友人に連絡してくれた。

私は、介護職の経験ゼロである。でも、人と人。現場に行って、この中で、私が何をすべきなのか。それは、とにかく、彼らに寄り添うことなのだと感じた。
一人でも多くのお年寄りの安心、笑顔を作り出すこと。

適応能力はあるつもりだ。
専門的なことはわからないが、見よう見まねでなんでもやった。
専門的なことを質問している時間も、それを説明する時間も誰にもない。
人が安心して生きていく、少しのお手伝いだった。
頑張って、生きて欲しい。

体調を壊して、救急搬送される人たちも出てくる。昨日、私が見る限りでも10人近くの人が救急搬送されていた。

痴呆のお年寄りは、今だ、福島にいると思っている人もいる。はっきりとは、わからないが、涙を流す人もいる。「みんないなくなった。」と何度も繰り返しいている人もいる。
「私なんて、被爆したっていいんだ。どうせ死ぬ。」と言っている全盲のおばあちゃん。
「優しくしてくれてうれしい。」と涙するおばあちゃん。
「ごはんがおいしい。」と笑うおじいちゃん。
生きている。それをどんな人も実感しているのだ。
みんなたくましく生きてるよ!
みんながんばってるよ!


被災地は、そして、被災地のお年寄りを抱えた施設は、もっともっと悲惨なのだということを考える…。

まだまだ、戦いはこれからである。
これから、他都道府県でもこういった受け入れが広がっていくだろう。
これから、自分たちがいる場所も「現場」です。
みんな戦っている!

20110320

Super moon

この満月を見て、
世界中の祈りを感じ、
あのいつも以上に輝く光にパワーを、力を感じた。

月の明るさが被災地を照らし、人々に希望の光となって降り注ぎますように。

20110319

笑顔。今だからこそ。

震災から1週間。
被災地は依然としてとても厳しい状況だ。
あらゆる問題にたくさんの人が立ち向かっている。がんばっている。

こうしている間も毎日、日は昇り、また沈み、朝が来て、夜が来る。鳥はさえずり、桜が咲きはじめる。自然の流れは変わらずに繰り返され、時間が刻々と過ぎ、それと一緒に私たちの生活も日々流れていく。

金曜日に学校は終わり、春休みを迎えた。
木曜日は今学期最後の授業だった。
もう学生の半数以上が帰国している中、私が受け持つ午前中のクラスにはたくさんの学生が顔を見せた。

私が教室に入るなり、韓国からの学生が、「先生、あんまり心配しないで大丈夫ですね。」と明るい笑顔。

中国から来た、クラスのリーダー的存在の彼は、私の「帰ることを考えていますか。」の質問に、「私ですか!?」と驚いた様子で、「私は帰りません。私は日本を信じていますから。」言葉が出なかった。黙って、握手をした。涙をぐっとこらえた。

停電や路線の運休でお休みすると連絡が来ていた一人、クラスで一番若い19歳の彼はみんなにとてもかわいがられている。その彼が、授業が終わる頃、顔を見せた。みんなが拍手で迎えた。「よく来ましたね〜。」と私が言うと、小さな声で、「先生に会いたかったですから。」と答えたのには、涙はこらえきれなかった…。

学生のみんなはとてもたくましかった。
またも、笑顔をもらい、力強く励まされたのは自分だと思った。

今、これから、私が、もっと一人でも多くの日本にいる人を、人を、笑顔にしていきたい。

私にできることは微力だ。だがその微力を絶対にあきらめない。たった1000円の募金だって、少しの節電だって、毎日、家の下のおじぞうさまに祈ることだって、信じることだって、隣にいる人、大切な人を守ることだって、通常の生活を守ることだって、私にできることは微力でもたくさんある。

細くとも一人ひとりの力の糸が、ぐんぐんあらゆる形で被災地まで伸びていきますように。

可能な限り冷静に、前向きに。
そして、元気でいること!私たちが心も体も元気でいなくては!

今こそ、笑顔で生きようじゃないの!