先日、私の病院で働く友人から電話があり、横浜の老人健康施設が福島から100人以上を受け入れた。明日、一緒にボランティアに行ってくれないか。とのこと。即座に行くと言った。
介 護職の経験を経て、現在病院に勤める彼女は、夜勤明けで、テレビを見ていると、国の対応が遅く、直接現地とやり取りをし、マイクロで福島県南相馬市の老人 ホームへ迎えに行ったという横浜は旭区の老人健康施設のニュースを目にした。職員は対応に追われているという現状を聞いて、すぐにそれをインターネットで 調べ、ボランティアとして働かせてほしいとメールをしたという。
数分後に、担当者から電話が来て今すぐにでも来て欲しいということだった。
そこからも、人手が足りていない現状が伝わるが、実際、昨日行ってみて、人手が足りない。限られたスペースの中、そして通常利用も続ける中で、大変な状態だった。
私の友人は介護職から病院という、その道の人間。
マスクや、エプロン、手袋など準備万端だった。まるで、リングに入るかのように、「よっしゃ!」の掛け声で、お年寄りの中に入っていき、大きな声で挨拶をして回った。
頼もしく、そして尊敬できる友人の姿に、私も、気合いが入った。
ボランティアをまとめる人もいない中、そんな彼女は1日を通して、現場を引っ張る重要な人になっていた。
福島のお年寄りは、日中のデイサービスのときには、場所がない。
座れるお年寄りは廊下にずらっと座っていた。寝たきりのお年寄りは、奥のデイサービスのスペースを半分仕切ったところに布団やベッドが並べられ、雑魚寝状態だった。
あんなに多くの人たちのトイレ(排泄)、介食、水分摂取のためのお茶出し、健康状態のチェック…。スタッフは明らかに足りない。すぐに、介護職のいとこに連絡をした。横浜近郊に住む、介護職経験がある友人に連絡してくれた。
私は、介護職の経験ゼロである。でも、人と人。現場に行って、この中で、私が何をすべきなのか。それは、とにかく、彼らに寄り添うことなのだと感じた。
一人でも多くのお年寄りの安心、笑顔を作り出すこと。
適応能力はあるつもりだ。
専門的なことはわからないが、見よう見まねでなんでもやった。
専門的なことを質問している時間も、それを説明する時間も誰にもない。
人が安心して生きていく、少しのお手伝いだった。
頑張って、生きて欲しい。
体調を壊して、救急搬送される人たちも出てくる。昨日、私が見る限りでも10人近くの人が救急搬送されていた。
痴呆のお年寄りは、今だ、福島にいると思っている人もいる。はっきりとは、わからないが、涙を流す人もいる。「みんないなくなった。」と何度も繰り返しいている人もいる。
「私なんて、被爆したっていいんだ。どうせ死ぬ。」と言っている全盲のおばあちゃん。
「優しくしてくれてうれしい。」と涙するおばあちゃん。
「ごはんがおいしい。」と笑うおじいちゃん。
生きている。それをどんな人も実感しているのだ。
みんなたくましく生きてるよ!
みんながんばってるよ!
被災地は、そして、被災地のお年寄りを抱えた施設は、もっともっと悲惨なのだということを考える…。
まだまだ、戦いはこれからである。
これから、他都道府県でもこういった受け入れが広がっていくだろう。
これから、自分たちがいる場所も「現場」です。
みんな戦っている!
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