20071116

Remembrance day

夏の終わりごろからKelowna City Bandという楽団に入ってTromboneを吹いている。

先日Remembrance dayの式典でCityParkで演奏をした。

11月11日はRemembrance Dayと呼ばれる第1次世界大戦の終戦記念日。1918年11月11日午前11時に武器を下ろしたことから、毎年各地で11月11日午前11時に2分間の黙祷を持ち、戦没者を追悼し世界平和を祈る。この日が近づくとみんな赤いポピーのバッチを胸にさしている。戦争で亡くなった人に対する献金をするともらえるバッチだ。

老若男女年齢問わずみんながこのバッチを付けている。バッチがない方が目立つほどだ。Ceremonyにもたくさんの人が集まった。

CanadaはAfganistanに兵士を送り込んでいる。今日まで何人亡くなっただろうか。私がこっちに来てからも3、4人の亡くなった兵士の写真を新聞で見ている。いつまで続くのだろうか。今回のCeremonyも現在のAfganの兵士への思いがこの日を歴史上の記念日ではなく、現在につづく深い意味を持つものとしていた。
いろんな思いが込み上げる。演奏中Kelownaで出会った色んな人がのぞきに来てくれた。中でも出会ったばかりでお互い色んな話をして意気投合したPrisira。Mexicoに帰る数日前だったこの日、一人で会いに来てくれたその思いが嬉しかった。他にも何人かお友達が見に来てくれた。
いろんな感情が込み上げた。Canadaでの出会いを振り返った。出会いは不思議だ。たった一瞬の出会いでも心が通う時がある。その出会いに嬉しさと世界を思い友を思いなぜだか刹那さが込み上げて涙が溢れた。

Part LeaderのMorrisもどうしてかわからないけれど、演奏中席を立って会場を離れて見守っていた。Ceremonyの参加者にも涙をする人がたくさんいた。みんな一人ひとり、このCeremonyに思いを持って参加しているのを感じた。

人が変化をつくれる、世界を変えられると思いたい。でも、現実的にどうやって政治や経済を変えられるのだろう?たとえば、いつまでIraqやAfganに兵士が送られていくのか。 一体誰がこうして戦争が続くことを望んでいるのか?何のためで、誰のための戦争なのか?一人ひとりの命はもっと尊重されるべきだ。大国がoilやお金への傲慢さを捨て去り、何かもっと違う方法で経済への取り組みを考えられないのだろうか、何かが犠牲にならねばならないのなら、私たち地球の市民一人ひとりが何か小さなことでもいい、何か生活を変える努力ができないのだろうか。積極的にoil以外でのエネルギーの生産を国全体で考えてみたり、お金の使い方を考えたり、食べ物も身の回りにあるものも、本当に必要なのか、その量必要なのか改めてみたり、貧しい国の資源をもっと考えてみたり。実際に自分たちには何ができるのか考え、正しい目や耳を持っていくべきだと思う。

日本を離れ、改めて歴史をもっと学ぶべきだと思う。「歴史に学ばないものは、同じ過ちを繰り返す。」と賢人は言ったけれど、私たちは、まさに同じことを繰り返していると思う。

Rememberance day ... 大事なことを考えさせてくれた日でした。

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