20141023

起き上がり小法師



素敵な起き上がり小法師(おきあがりこぼし)をいただきました。
ありがとうございます!

なんとそれぞれにそれぞれの由縁の絵が描かれています。
私の方には、なんとBluemoonが。お客さんの賑やかな様子まで鮮明に描かれている。
すごい。

 
彼の方は、Hawaiiホノルルマラソンのゴールが描かれています。

「起き上がり小法師」は福島は会津地方の縁起物だそうです。
友人は大阪までこれを届けに来てくれました。
大切にしていきたいと思います。
そんな彼女にも春が訪れ 、この起き上がり小法師は本当に縁起物だと見るたびにその友人のことを思い出します。

「七転び八起き」何度失敗しても屈せずに立ち上がる!の意味を持つこの起き上がり小法師。
失敗。
私個人の話をすると…
私は、数え切れないほど今まで失敗をしてきた。
 
人に迷惑をかけた失敗もたくさんあった。
救いようのない失敗もたくさんあった。
その度にどうして、自分はこうなのだろうか…と自信を失くした。
立ち直れないほどへこんだ。
へなちょこな自分。

でも、やはりずっとへこんでいては、へなちょこで終わってしまう。
信頼も失ってしまう。
失敗して、「本当に直す気はあるんですか。」と言われハッとしたこともある。
でも、そういう言葉こそ、今日まで残る深い言葉となっているものだ。

失敗。
なんとか、へなちょこなりに、
「起き上がる」というよりは、失敗を積み重ねて、
何かが起きても動じない強さや、
ピンチの時に乗り越える力がついてきたように思う。
失敗をしてきて、良いことがある…とは言わないが、
人に共感できることも多いような気がするし、
共感だけではなく、少しの私なりの経験からアドバイスできることもある。

失敗から学んだことは多いが、私に必要なのは、失敗の前に、失敗しないような準備や、計画、丁寧さや、小さなことでも気をつける意識…そういったことなのだ。
逆に私のパートナーはそういったことを兼ね備えていて、見習うべき存在である。
これを見て、また、彼を見て少しでも、そんな失敗の前に考えられる自分に近づけるように頑張りたいと思う。
そうは言ってもまだまだ七転びどころじゃなく転げ回ると思いますが、必ず起き上がって前を向いて歩いていきたいとそう思います。

Thank you Kisun Kim !

20141011

高校の後輩


2日前、高校の後輩に思いついたように連絡をしたら、なんと明日明後日アートワークショップで大阪にいるという。
そんなミラクル。
ミュージシャンであり、ダンサーであり、アーティストであり、母であり…たくさんのタイトルを持つ彼女は小さな体だがとても力強いのである。

高校の時はお互いそれぞれの学年一かもしれないうるささを誇っていた。
キャラが被っていたのか、「2コ下に似たやつがいるぞ」なんて言われた。
それがきっかけで彼女を知った。

いつもFacebookなどで活躍を見ていた彼女。
彼女が作るものは本当に自由でクリエイティブ。
チャキチャキ元気な彼女の作るものはとてもあたたかい優しさの溢れるものがたくさん。
いつも彼女のワークショップなどに参加したいと思っていたが、
まさかの大阪での再会!
そして更にこんな風に彼女のワークショップに大阪で参加できるとは思っていなかった!
感激である。

会場では、たくさんの子どもや親子たちに気さくに話しかけている。
私も会場で、子どもに混ざって、すっかり本気モードで黙々と作ってしまいました。
革のキーホルダー。
キーホルダーには、このBlogのタイトルBon Voyage(Eがちょっとみえなくなっちゃったけど。)
何かを作るって楽しいなあ!

ゆうこ!たくましく生きるあなたの姿を見るだけでなんだかパワーをもらいました!
今日はお疲れ様!ありがとう。

秋一色のワークショップ会場



20141008

いまさらの2014年の夏の話。



2011年から4年間夏の間は、一色海岸の海の家 ''Blue moon''のキッチンでお世話になりました。

夏の間、多くの人にとってここはHomeであります。
子どもたちが集まっては、駆け回り、大人たちが集まっては、語り合い、歌い出す。

みんなが海で生まれ、海で育って、海に帰っていくような。
みんなの顔を見ているとそんな海自体がHomeであることを実感できる場所。

寒い冬がやってきて、周辺に人もいなくなったかと思えば、
あったかい夏が来るのを感じれば、今か今かと待ち遠しい顔ぶれが海に集まり始める。

私たちの日常も同じで悲しみで涙をいっぱいにする日があって、大きく口を開けて笑える日がある。


ここには全てがつまっていた。

みんなのHomeであった。


毎年一緒に働いていたロックミュージシャンであり、BluemoonのTime out coffeeの店長である生馬さんが、海に帰っていったこの夏。
自身の歌でも歌っていた「海に帰るぜ」という言葉通りにたくさんの仲間に見送られ海に帰っていった。
みんなで海に送り出した時、「ああ…本当に海に帰っていったんだ…」と思わされた瞬間だった。
優しい日の光に照らされて、彼の大きな魂がそこにあり、みんなの魂があたたかく見守っていた。


2014年、ここで別れを告げた人がいて、
2014年、ここで結ばれた人がいて、

去っていくものがあり、
生まれるものがある。

「死ぬことは生きること。」
追悼Liveの中で仲間の一人が話していた言葉が心に響いた。

悲しみが私たちにくれる強さや優しさがあり、
私たちの今も深くなっていく。

そんなことを2014年の海は教えてくれた。

人が生まれ、
人が集い
人と人が結ばれ、
人が最後を迎え、

悲しみ。

そこから始まるもの、そこが与えるもののパワーを知った。

そして、そこから深く生まれていく喜びもあった。
仲間の結婚式。
共にそのHomeで色んなことを感じ合った仲間が
ここで結ばれることは、深い喜びがあった。

悲しみがあって、喜びがあって…
人生、それが同時にやってくることもあって…


こうした、悲しみと喜びとが共存することが、まさにLifeであり、
この場所は、まさにそんな出会いも別れも、喜びも悲しみも全てを与えるHomeなのだと
実感した2014年の夏。

ありがとうBluemoon、一色の海。
今まで、色んなことを教えてくれました。

今、葉山を離れ
あのHomeをまだまだ恋しく思うけれど、
また心の中で、新たに特別な場所になっていっている気がする。


大きなあの空と、海と、キラキラとした日の輝き。
また会う日まで。





20140914

朝ごはん



大阪生活一日目の朝ごはん。
まだまだ荷ほどきできずに箱に囲まれているけど
新しい生活をスタートさせる朝ごはん。
いただいた木のお茶碗でごはんを盛らせていただきました。
木のあたたかいぬくもりにあたたかい日の光。
そしてめでたい門出に金目鯛の干物を焼きました。
新しい生活が始まりました。


20140910

涙の祭り


葉山を離れること。
実感が湧かないまま実家に戻り数日。

神輿を担ぐBluemoonの仲間に誘われ森戸の祭りに出向いた。
ずっと守ってくれていた古いお守りをいくつか持っていく。
雨の中、拝殿までの道を歩く。

葉山で過ごした色んな思い出が蘇る。
今まで守ってくれていたお守りを納めて、
本殿で手を合わせる。
葉山での生活をお守りいただきありがとうございました。
手を合わせるとなぜだか涙が溢れ出した。

本当に葉山を離れるんだなあ…。と実感が湧いた瞬間だった。
一人暮らしをすること。海の近くに住むことは、私の幼い頃からの夢であり憧れであった。
小さな頃から、絵本や、本、映画やドラマの世界で、人の生活している風景を見て、自分だったら~と想像することが好きだった。

初めて一人暮らしをした20代半ば、父に近くの神社に住まわせていただきますと挨拶に行け。と言われた。 それから、どこに住むでも、挨拶をして、出る時には、お礼を言いに行った。
海外では、海に手を合わせた。

本殿にお参りをした後、神輿がやって来るその掛け声が聞こえてきたので沿道に戻る。
たくさんの人の掛け声と、見事な神輿、神輿を担ぐ人のいい顔、沿道でそれを見守る人たちのいい顔、温かい声の掛け合い、なんだかまた涙が出てきちゃって一人涙の祭りである…。
こんな人はもちろん一人もいないだろう…笑。

海外でやっていくことも考えていた私だったが、
なんだかんだ日本に帰って来た。
海の近くのこの葉山と出会い4年目。
最初の2年は友人の丸ちゃんと山の上から大きな空と海を眺め。
あとの2年は一人で波をかぶるほどの海の近くで富士山と江ノ島を眺めた。
海と山に守られ、たくさんの温かい人たちに出会った。
葉山にいると、じーんと、「ああ~ここに住んでいて良かった。」
涙が溢れそうなほどそう思える瞬間がたくさんあった。

葉山は
いつも私を包み込んでくれた。
愛おしいとさえ感じる場所。
私のHOME。

ありがとう。






20140903

わたくしごと。


誰かと強い気持ちで結ばれること。
それはついこの前まで私の頭の中の妄想で終わるのかもしれないと思っていました。

喜びや悲しみというのは、なんとも言葉にし難いものです。


こうした報告をすることは、なんだか照れくさいものだったり、受け取り側の状況によってのろけたものとなってしまったり、喜びだけではないものに変わっていくこともあります…。

それは人のことを考えたり、大切な思いは言葉にせずにじっくりと秘める、喜びを心で育てかみ締めるそんな日本の心につながるのかもしれません。

SNSというツールが出回る現代ですが、なかなか言葉を発しにくい世の中でもあります。
言葉や、伝えることが安易になっていく分、大切な気持ちが発信者と受け取り側で変わっていってしまうこともたくさんあります。私は、ここ最近なかなかBlogが書けない日々が続いていました。

私は、こう見えて気難しい性格で、人のことは盛り上げるだけ盛り上げるくせに、自分自身のことで脚光を浴びるのはあまり好きではなく、時に周りの人にも少しさみしい気持ちにしてしまうのかもしれません。
 
でも、こうした報告をすることは、私の出会った一人ひとりへの「ありがとう。」だということを教わりました。

友人や、家族に助けられて今の自分がいます。
今までの出会いや出来事があって、今があります。
こうして笑顔でいられるのもその出会った人、一人一人のお陰。
辛いこと悲しいことを含めた出来事の一つ一つのお陰。
色んなお「陰」さんが今の自分を輝かせてくれています。
ありがとう。

私は常々Blogのタイトルにもあるこの言葉の中に生きてきました。
「人生は旅であり、旅もまた人生である。」
今日までの旅の中で、
迷い道ばかりの先が見えぬ日々、仕事や夢に情熱を燃やした日々、孤独な日々、私のがむしゃらな旅路の先にこんな誰かと歩む新たな旅が待ち受けていたとは思いもよらぬことでした。
たどり着いたのは、あたたかくて優しさ溢れる故郷のような人でした。
自分の考えもしないことが起こるのが人生であり、旅であるのだと改めて思いました。


パートナーは中学校の同級生。
中学校で出会って20年。
成人となってからお互いを思う気持ちはすれ違い続けた10年。
お互いもう会うことはないと思っていたけれど
1年前、中学校の恩師たちに導かれ、再会。

その後、今日まで自分を、そしてお互いをしっかりと見つめ合ってきました。

一緒にいること、一緒になることがとにかく自然な人であります。

9月から今は転勤で大阪にいる彼のところへ行き、新しい生活を始めます。
入籍は11月。

式などはしませんが先週、写真だけ愛する一色海岸と、私たちの原点である中学校で撮ってもらいました。カメラマンも、お花も、髪の毛も、ドレスも…みんな周りの人が力を尽くしてくれました。
本当に感謝です。この写真はその中の1枚です。
その1日も色んなところで色んな人に祝ってもらい、他にも彼とどこかへ出向く度に色々な方にお祝いしていただきました。あちこちで結婚式をしてもらった気分です。

本当にありがとうございました。 


そそくさとバタバタと旅立つ私をお許しください。
行く前に会いたいと言ってくれる人がいます。
なかなか時間が作れずにすみません。
でも、大丈夫。また会えるタイミングがある。
その時笑って会いましょう。
いつお祝いすればいいのと言ってくれる人がいます。
私もいつご報告すればいいのかよくわかりませんでした。笑。

心の中でじんわりと喜んでくれたのなら、私はそれが嬉しいです。
そうした気持ちっていうのは伝わるんです。

ありがとう。
たくさんのありがとうで胸がいっぱいです。 

新たなLife-journey私らしく、私たちらしく歩みたいと思います。

20140716

ここから見る夕日。



ここから夕日を見ていると、自分という存在を超えた大きな喜び、悲しみすべてが心を揺さぶるってくる。
わけもわからずに涙が出そうになる。
嗚呼…ありがとう。ただそれだけを言いたくなる。

あなたの目で見て、体全部で、心全部で感じて欲しい。
一色海岸で待っています。





20140318

クレヨン

5歳の生徒が大切そうに持ってきた24色入りのクレヨン。
24色入っているのは珍しいねとなんとなく、Lesson前にふたを開けて見せてもらった。
ふたを開けると、中のクレヨンに見とれてしまった。
宝箱のように鮮やかな色が飛び出してきた。
紙のカバーも全部取れて、短いクレヨン、長いクレヨン、二つに分かれたクレヨン。
表面は、色んな色が混ざり合う。
色々なクレヨンが並んでいる。
クレヨンを見ただけで個性を感じ、絵を描くことが好きなのを感じた。 
今までたくさんの子どもたちのクレヨンを見てきたけれど、なかなかこんなクレヨンは見たことがなかった。

彼が書く絵の色使いはとても鮮やか。
塗り絵も一ヶ所に色んな色を使う。
嬉しそうにニコニコしながら、どんなに短くても使いたい色のクレヨンを上手に持って少しづつ少しづつ色を塗るというより大事に色を置いていくような塗り方をする。
これまた見とれてしまう。

子どもたちに物を大切にすることを伝えていきたい。
物をたくさん使っていくと、その物の命がキラキラして個性がでてくる。
新しい物も手に入れた時は嬉しいけれど、長く使えば、使うほどその物に自分の気持ちがたくさん詰まっていく特別な感覚を育てていきたい。

20140311

あれから3度目の春

雪が降り
雪が溶け
ふきのとうが
冷たい土から顔を出し
春の花がやさしく咲き始めた
春の訪れを感じ始めた。

つい先日、同じ会社の東北は宮城県塩竃市から研修に参加してくれた先生に会う機会に恵まれた。
控えめだけれども、どこか芯がある。そんな第一印象だった。
休憩時間には、色々なお話をしてくれた。

3年前の3月11日大地震が東北を襲った時、彼女は塩竃市の海沿いの郵便局にいたという。
車を置いて山の方に走って逃げたそうだ。
集会所のようなところで家族を待ったという。
弟さんとそこで会うことが出来て、電気の通らない寒い中、夜を明かしたそうだ。
3週間風呂に入らず、川で洗濯をしたりして過ごしたという。

彼女との話しの中で私が当時、そのような光景を石巻で少し目の当たりにしたことを話すと、私がボランティアで石巻を訪ねたことを知り、驚いた顔をして、真剣な眼差しで「ありがとうございました。」と頭を下げた。自衛隊や、ボランティアの人たちに本当に助けられたという。
私自身は何も大したことはしていないし、当時は、私のただ居ても立ってもいられない気持ちが強かった。行動に移すことは、他の誰かのためというより自分のためだった。
あの地をまた訪ねようと言って3年が過ぎてしまった。
彼女との出会いは再び、あの地を思わせた。

今日で震災から3年目を迎える。
彼女の話では、まだまだ石巻の電灯などは、震災前ほど明るくはなく、夜車で走ると真っ暗だと言う。
最近、遠方から訪ねて来た人が見ると畑がどこまでも続く場所と思われる現在の地は流されてしまった土地だという。
たくさんの人、もの全てを海に連れて去っていった大きな津波。

あれから3年、毎年この日、朝仕事に行く前に自分の家の前の海をゆっくり眺める時間を作るようになった。
目の前の穏やかな海を見ているとあの日、この海が姿を変え、激しく荒々しく私たちを襲ったことがなんだか信じられない。

れから3年。
この国はどこに向かっているのか。
今、そしてこれからのために私たち一人一人はどう学び、考え、生きるべきなのか。
日々、考えさせられる。
この3年間、私の頭は追いついていかない。学び、考えている間、この国はどんどん目まぐるしく移り変わろうとしている。
一つのことを学んでいるうちにまた一つ、また一つと新しい問題や提案が出され、そのうちに一つ前の事項は国によって制定されている。

このように流れていってしまう現実を黙って一緒にただただ流れてはいきたくない。
今の生き方、これからを考えて、流れをちょっと待てよ。とたとえ一人だろうと立ち止まれる大人に。
そして、必要な時に出来る形で行動に移せるように。
備え守るべきものを守っていきたい。
その自分自身への誓いを持って14:46黙祷をしたい。

今朝の葉山