ピースボート緊急支援ボランティアとして1週間。
いまだ、いろいろな思いが混ざり合い、上手く言葉にできませんが、少し書きます。
初日沿岸部の壊滅状態を目の当たりにした時は、言葉がなかった。
自然の脅威に対しての私たち人間の無力さをこれでもかというほど見せられた。
車も家も天地ぐちゃぐちゃになり、そこら中が、がれきで埋め尽くされた無力感が漂う町がそこにあった。
この状態が沿岸部、数百kmに渡り続いているとは本当に信じがたい。
でも、それは、現実。
テレビではわからない、目で見て、肌で感じて、あの砂埃と、いろんな臭いのあの中に現実があった。
そこに生活があって、無くなったものを取り戻そうとしている姿があった。
何とかしなければと誰もが立ち上がろうとしていた。生活に必要なものすべてを流されて、失った人も何とかはい上がろうとしていた。
起こってしまったものは仕方がない。やるしかないのだと。たくましく前進し始めていた。
避難所に残るしかない人々、半壊した家で生活を取り戻そうとしている人々。今の暮らしが長期戦になるということを覚悟の上で気持ちの一つひとつをつなぎ合わせ、衣食住、日常を手さぐりでとにかく一つひとつを復活させようとしている日々がそこにあった。
「現実」だった。
避難所の炊き出し、全国から来る支援物資の仕分け、必要な物資の無料配布バザー、
手が回らない小さな集落を捜し、支援物資を届ける、炊き出しを行う。
学校や、半壊した家屋の泥のかき出しや、がれき撤去。
PEACEBOATのボランティアスタッフ、他たくさんの団体、個人が全国から集まって必要なこと、できることを日々行っている。
PEACEBOAT緊急支援ボランティアは私たち第一陣が戻り、第二陣が活動中の現在、東京のPEACEBOATでは、1000人以上の人がボランティアの登録をしていて、現地に1週間ごとに出向いていく。
全国、全世界から本当にいろんな人がやってきては、支援物資を届けに来たり、ボランティアをしに来たり。みんながこの時に、同じ場所に一つの目的で、同じ気持ちで集まった。仲間だった。
驚くほどの全国からのPower。物資も人も、日本列島各地から、飛んできて集まっていた。
驚くほどの全国からのPower。物資も人も、日本列島各地から、飛んできて集まっていた。
必要な物資をコーディネートして仲間に渡し、仲間が届けて、生の声を聞いて帰ってくる。そして、次のコーディネートに生かしていく。自分のしていることは、微力だが、信頼するチームが思いをつないでいるのだと思えた。
他、バザー、物資の配布、泥かきなどさせてもらった。現場に行くたびに、言葉にならない思いが溢れてくるのをぐっとこらえた。
あの現実を見て、
あの経験を学びとして、ここから日本を見て、考えていきたい。まだまだ続くこの日本の挑戦に、これからも自分の出来ることを一つ、そしてまた一つと模索し、学びとチャレンジを続けながら、生きていきたいと思う。
2004年、ミャンマーの奥地を医師団と訪ねた時の仲間の言葉を思い出した。
「ただいっしょに生きていきたい。」
被災地のために…なんて大きなことは言えないし、私個人では何もできない。
ただ、人の苦しみや、悲しみとも共に生きていける生き方をしたいのだ。
過去Blog「Love and Hugs」ミャンマーで感じたこと。
http://gogoerie.blogspot.com/2007/04/pbshare-juan-mann-free-hugs-campaign.html
小学校の校庭 |
全国から集まる支援物資 |
1 件のコメント:
現実をテレビで目の当たりにするより、自らの手でボランティアする方が人間として成長すると思う。テレビやラジオの情報じゃなく、進んでこういったことをやる事がもはや重要になってくるんじゃないのかな。
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